ルートヴィヒ・エクスリンのポートレート

比類ない才能を持つ天才ルートヴィヒ・エクスリンはバチカンで見習いをしていた際、1725年にパルマおよびピアチェンツァ公爵夫人用に制作された時計の研究に時間を費やしました。

傑作の誕生は得てして、いくつかの良き偶然がもたらすものです。ユリス・ナルダンの過去30年間の成功も、機械式時計に情熱をかけた2人の男の偶然の出会いによるところが大きいのです。先見の明のあるビジネスマンであるロルフ・シュナイダーは、才能ある時計職人ルートヴィヒ・エクスリンが自身の技量を実現できる完璧な条件を整えました。このふたりの偉大な友情が、伝説に残る時計を生み出していったのです。

ルートヴィヒ・エクスリンがロルフ・シュナイダーと出会った際、エクスリンはルツェルンにあるJörg Spöringでのアンティーク時計修復および時計技師見習いの終了を間近に控えていました。

ファルネーゼ天文時計として知られているこの時計は、太陽と月の位置、さらにはムーンフェイズを表示する特別なメカニズムを備えていました。

エクスリンは4年間かけてこの時計を分解・修復し、ひとつずつ丹念に組み立て直しました。考古学、古代史、ギリシャ語を学んだ彼は「考古学で学んだことを応用したのです」と語る。そして、こうも続けています。「一度に一層ずつ、まだ発掘されていない宝物のように時計を調べていくのです。」

これが輝かしいキャリアのスタートとなりました。彼はファルネーゼ天文時計に関する論文を発表し、ベルン大学の応用科学原理および歴史の博士号を取得します。同じ頃、18世紀の修道士が製造した天文時計を求めてヨーロッパを旅します。そしてこれらの時計を分解し、慎重に測定、計測、解釈を行っていったのです。このような偉業をこれまで誰も成し遂げたことはありませんでした。

エクスリンのファルネーゼ天文時計に関する研究に着想を得た天文時計は、Jörg Spöringの作業場にて堂々と陳列されました。

アストロラーベを小型化し、世界で最も複雑な機構を持つ腕時計を開発するというシュナイダーの決意が、二人の長い友情につながりました。

エクスリンは時計の開発に挑戦し、アストロラビウム・ガリレオガリレイが1985年に誕生します。その稀な複雑性により、ユリス・ナルダンは輝けるウォッチメーカーとして再び世界の注目を集めます。数年の内に、二人はプラネタリウム・コペルニクスとテリリウム・ヨハネスケプラーを発表し、かの有名な天文三部作を完成させます。この三部作は時計愛好家に感銘を与え、また、ユリス・ナルダンはスイス時計製造産業界の最も卓越したブランドの一つとしての地位を確立しました。

これはまた美しい友情の始まりでもありました。20年以上もの間、ルートヴィヒ・エクスリンは時計製造の歴史においてマイルストーンとなる複数の時計を考案し指揮を執ってきました。前進でも後進でも調整可能なセカンドタイムゾーン付きパーペチュアルカレンダーを備えたGMT±パーペチュアルがそのひとつ。もうひとつは、機械式時計では世界初の24時間式アラームが設定できるソナタ。ムーブメントの回転が時間表示の仕組みになるカルーセル・ トゥールビヨンを装備した革命的なフリークは、年々進化し続ける発明のひとつとなりました。

 

学者でもある時計職人として、ロルフ・シュナイダーと会社に支えられ、一歩ずつ前進しながら時計製造の専門知識の限界に挑んできました。エクスリンは歴史からインスピレーションを得ています。「私の膨大な研究を通して、エピサイクロイド歯車のような長く忘れされていた独創的なアイデアや技術的解決策などに遭遇してきました。この豊富なノウハウは私が残してきたユリス・ナルダンの多くのプロジェクトに浸透し、ブランドのDNAとなっています。」そして、今後の新しい作品の誕生を約束するこの増え続ける知識こそが、ルートヴィヒ・エクスリンのレガシーなのです。