ロルフ・W・シュナイダーのポートレート

ロルフ・シュナイダーは時計製造業の新しいビジョンを示すことに大きな価値と可能性を見出しました。

30年近くブランドの原動力となっているロルフ・W・シュナイダーは洞察力のある実業家であり、スイスの時計製造を情熱をもって擁護してきました。ユリス・ナルダンを21世紀の舞台で飛躍させたのは、時計産業での長年の経験だけではなく彼のビジョンと決意でした。

1950年代後半、28歳の時シュナイダーはスイス商社のタイムピース部門を概観するためアジアを旅行します。この旅が時計製造への生涯の情熱と関心を傾けるきっかけになりました。1968年、腕時計のパーツを生産するスイスの工場をタイで初めて設立します。その後、クアラルンプールに文字盤製造の工場を建設し、スイスの時計産業向けにその他の精密部品もここで生産しました。

1983年、シュナイダーは家族経営のウォッチメーカーであったユリス・ナルダンが売りに出たと知り、直ちに買収の準備を進めました。5世代に及び、ナルダン家は高精度のタイムピースを生産しながら会社の舵を取り、1800年代にはその名を馳せました。しかし、クォーツ時計の普及に脅かされ、1970年代には会社が弱体化しました。

シュナイダーの戦略はシンプルで、それは会社の深い専門知識と革新的な新しいアイデアを取り入れた腕時計を製造することでした。

新たな展望をどのように具体化するか思案していた際、ウォッチメーカーJörg Spöringのルツェルンの作業場で壁にかけられていたアストロラーベに偶然出会ったのです。

ユリス・ナルダンは、アストロラーベを小型化し新しいタイプの機械式時計を作る‐これがシュナイダーの進む道でした。そこで、アストロラーベの生みの親ルートヴィヒ・エクスリン博士に協力を求めたのです。歴史家であり発明家であり熟練した時計技師であるエクスリンが理想の、そしておそらくは唯一、任務を遂行できる男でした。ユリス・ナルダンのアストロラビウム・ガリレオガリレイが生まれ、ユリス・ナルダンはこの一つの革新的な時計で再び世界の機械式時計界でその傑出した地位を取り戻しました。

シュナイダーの指揮の下、ユリス・ナルダンはほぼ30年間、比類のない技術革新で時計業界に衝撃を与え続けてきました。GMTパーペチュアルカレンダー、フリーク、ジンギスカンそしてソナタを含む驚異的な複雑時計は全て、技術革新の賞を受賞しています。シュナイダーは「フリークは機械式時計製造の詩的作品」と、Innovation Prize 2002の栄えあるWatch of the Yearに輝いたこの作品を形容しています。2006年、シュナイダーは初の自社で構築・開発された自動巻きペースキャリバーUN-160の発売も監督しました。

彼のエネルギーと先見性が、世界で最も革新的な高級時計メーカーとしてユリス・ナルダンの地位を確固たるものにしていきました。時計産業への貢献が認められ、シュナイダーは2003年スイス国際時計博物館(MIH)が主催するGaia AwardでSpirit of Enterprise賞を受賞します。この賞に続き、Grand Prix d'Horlogerie de GenèveのLifetime Achievement Award賞も受賞しました。(この賞のアジア版はシンガポールで行わます。)

時計産業への貢献が認められ、シュナイダーはGrand Prix d'Horlogerie de GenèveのLifetime Achievement Award賞も受賞しました。(この賞のアジア版はシンガポールで行われます。)

高級時計業界を牽引し、30年近くユリス・ナルダンのオーナーであり社長であったロルフ・シュナイダーは、2011年4月に他界しました。